エピジェネティクス進化論

エピジェネティクスは、生物学にパラダイムシフトを起こすのか?メインストリームの影に隠されてきた学説を再検討し、獲得形質の遺伝をめぐる二項対立を超えた新しい進化論の可能性を検討する。

「エピジェネティクス進化論」とは?

エピジェネティクスの発見は、生物学にとってどのような意味を持つのであろうか?

進化論をはじめて包括的に論じたジャン=バティスト・ラマルク(1744-1829)は、1809年、『動物哲学』において、「用・不要説」と「獲得形質の遺伝」からなる進化論を説いた。

チャールズ・ロバート・ダーウィン1809-1882)は、1859年に出版した『種の起源』で自然選択を提唱し、1868年出版の『飼養動植物の変異』でパンゲン説を発表した。

ダーウィンは、ラマルクの「用・不用説」と「獲得形質の遺伝」に基づき、それを可能とするためのメカニズムとして、パンゲン説を考えた。

パンゲン説とは、「植物の体の各部・各器官の細胞には自己増殖性の粒子であるジェミュール (gemmule) が含まれているとし、この粒子が各部において獲得した形質の情報を内部にため、その後に血管や道管を通して生殖細胞に集まり、それが子孫に伝えられ、子孫においてまた体の各器官に分散していって、親の特徴・形質が伝わるのだ」とする説である。

当時は、親の卵子と精子に存在する「何らかの液状のモノ」が混ざりあって、両親の特徴が子に引き継がれるという融合説(混合説)が主流であった。

融合説を基に考えると、集団に生じた変異は、世代を重ねるごとに薄まり、やがて消えていってしまい、進化の原動力にはなりえない。

アウグスト・ヴァイスマン(1834 -1914)は、生殖質説を提唱した。

生殖質説は、生殖細胞と体細胞を区別し、生殖細胞は多くの生殖細胞と体細胞を作るが、生殖細胞は体細胞が得たいかなる変化からも影響を受けない、つまり、獲得形質の遺伝はないという主張する。

生殖質説では、情報は一方的に生殖細胞から体細胞へ伝わり、逆の流れはないということになる。そのため、生物が変化する原動力を別に考える必要が出てきた。

1900年、グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)が行った研究が再発見された。メンデルは、遺伝形質は遺伝粒子(後の遺伝子)によって受け継がれるという粒子遺伝を提唱した。遺伝子を想定すると、変異は集団の中で薄まることなく存在し続けることが可能であるため、ダーウィン説の困難を補完する役割を果たした。

1901年、ユーゴー・ド・フリースが、突然変異を発見し、自然選択とは無関係に突然変異によって新しい種が生じ、生じた種の間に自然選択が起こるという突然変異説を唱えた。環境の生殖細胞への影響を否定する立場では、生物が変わるためには、遺伝子が環境と関係なくランダムに変化する必要がある。突然変異は、そのためのメカニズムとして受け入れられた。

1940年ころには、進化論は、「ランダムな突然変異によって生み出される遺伝的変異に自然選択が働くことによって進化が駆動する」という形でまとめられ、総合説(ネオ・ダーウィニズム)と呼ばれるようになった。

総合説が確立していく一方で、獲得形質が遺伝すると主張する人たちもいた。

パウル・カンメラー(1880-1926)は、サンショウウオやサンバガエルを用いた実験で、獲得形質の遺伝に肯定的な結果を出した。しかし、標本の偽造スキャンダルに巻き込まれ自殺してしまい、詐欺師のレッテルを貼られた。

イヴァン・ミチューリン(1855-1935)は、獲得形質遺伝を利用して、寒冷なロシアの地に次々と果樹を適応させ、雑種や接木を用いた独自の方法により300種以上の新種を人工的に作った。

ミチューリンの成果を土台にして、トロフィム・ルイセンコは、獲得形質遺伝を用いたバーナリゼーションという農業技法を開発し、秋まき小麦と春まき小麦を互いに転換させて新しい品種を作り出す技術を確立した。

時代は、東西冷戦に突入し、獲得形質の遺伝を否定するアメリカのネオ・ダーウィニズム主義者と、獲得形質の遺伝を認めるソビエトのルイセンコ派との対立は、資本主義と共産主義の対立と重ね合わされ、単なる進化論上の対立という意味を超えた意味合いを持ち始めた。

ネオ・ダーウィニズムは自由競争を肯定する役割を担い、ルイセンコ生物学は、対立と抗争の中から新しい質を生み出す共産主義の思想、唯物論的弁証法の正しさを証明する使命を担った。

どちらの陣営にとっても、イデオロギーを背負った「負けられない戦い」となってしまったのだ。

1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは、分子模型を構築する手法によって、DNAが二重らせん構造をとることを示した。

1960年代になり、DNAとタンパク質の情報を仲介するmRNAが発見され、さらにDNA情報とタンパク質構造との関係すなわち遺伝暗号が明らかにされた。これらの発見により、遺伝情報はDNA→mRNA→タンパク質というふうに一方向に伝達されると考えられるようになり、セントラルドグマ(分子生物学の中心教義)と呼ばれるようになった。

セントラルドグマは、獲得形質の遺伝を分子生物学的なメカニズムに基づいて否定したのだ。

この一撃は、ルイセンコ派に大きなダメージを与え、獲得形質の遺伝は、論じるべきテーマではなくなった。

このように、進化論の歴史において、「獲得形質の遺伝」は、重要な争点であったが、獲得形質が遺伝するメカニズムが提唱されなかったため、進化論の主流にはならなかった。

セントラルドグマによって、完全に白黒はついたかのように見えた。

しかし、分子生物学という新しい研究手法が誕生したことにより、セントラルドグマの正しさが揺らぎ始めた。

1940年に、アメリカの生物学者、バーバラ・マクリントックが発見したトランスポゾンは、RNA→DNAという情報の流れが存在することを示した。これは、セントラルドグマの一部が破られたことを意味する。

また、このころ、DNAの塩基配列の違いによらない遺伝子発現の多様性を生み出すしくみとして、エピジェネティクスが注目されてきた。

1942年、獲得形質の遺伝の強烈な支持者であったConrad Hal Waddington (1905-1975)は、初めて「エピジェネティクス」を、表現型を取り込む環境と遺伝子との相互作用として定義した。

エピジェネティクスの最も代表的なものは、DNAメチル化やヒストンの修飾である。

これらは、しかるべき場所で、しかるべき時に、しかるべき遺伝子が発現するように遺伝子の発現調節をしているのだ。

さらに、エピジェネティクスは、環境に応答し、その分布を変化させる。つまり、エピジェネティクスは、環境から情報を取り込む仕組みを持っているのだ。

そして、エピジェネティクス情報は、生殖細胞と通して子孫に伝わるのである。

つまり、親が獲得した形質が、エピジェネティクスを通して子孫に伝わることがあり得るのである。

はっきり言おう。

つまり、「獲得形質の遺伝」が可能なのである。

エピジェネティクスの発見によって、進化論の根底が動き始めた。

「詐欺師」のレッテルを貼られたカンメラーの実験は、エピジェネティクスによって説明可能であるという。→リンク

「ペテン師」と呼ばれたルイセンコの学説もまた、エピジェネティクスで説明可能であるという。→リンク

エピジェネティクスの登場によって、進化論のパラダイムが、大きく動こうとしている。

今まで、見捨てられてきた学説を、現代的な知識に照らして、再検討する必要があるのではないか。

それらを集めて整理し、再検討することが、新しいパラダイムを構築していく上で有益なのではないか。

ここで重要なのは、獲得形質が遺伝する/しないという二項対立を超えた、新しい生命観を作り上げることではないかと思う。

あらためて、生命とは何かという問いを考え直す絶好の機会に遭遇しているのかもしれない。

このHPは、この問いを考える際の情報源として役立つことを目指している。

 

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